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奈良時代に行基が開き、空海が中興したと伝わる古刹。裏山には、南北朝の戦いで倒れた兵士を弔う千体石仏が並ぶ。本尊の阿弥陀如来坐像は藤原時代のもの。
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境内は祭神の一言主大神が現れた神降の地とされ、神秘的な雰囲気が漂う。正しくは葛城一言主神社。一言主神は雄略[ゆうりゃく]天皇が葛城山を訪れた際にも現れ、「吾[あ]は悪事[まがごと]も一言、善事[よごと]も一言、言離[ことさか]の神、葛城の一言主の大神なり」と名乗ったという。地元で「一言さん」と親しまれ、一言の願いなら何でもかなうと信じられている。境内には推定樹齢1200年の大イチョウや土蜘蛛[つちぐも]を埋めたとされる蜘蛛塚、松尾芭焦の句碑などもある。
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緩やかな傾斜地に山門や本堂、鐘楼が配置された優雅な寺。奈良時代の高僧・行基の開創と伝わる。寺伝によると、行基が夢枕に現れた老人に「山の中に船形の大きな岩がある。岩の上に薬師如来を祭るように」と告げられ、その地に庵を立てたのが始まりという。境内には1000株ものツツジやサツキがあり、例年4月終わりごろからキリシマツツジが咲きはじめ、ゴールデンウィークにはヒラドツツジが満開となる 。裏山を借景にした池泉回遊式庭園も見事。
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古代豪族鴨氏の氏神を祭る神社。延喜式にも名を連ね、859年(貞観元)には従一位に叙せられた。
全国の賀茂社の総社にあたる。三間社流造りの本殿は1543(天文12)年の再建で、室町時代の神社建築を代表する建築物で一見の価値あり。
4~5月に見ごろとなるニホンサクラソウは、1960年(昭和35)に宮司が京都から持ち帰って増やしたもの。約500種2000鉢を数える。
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畝傍山[うねびやま]の麓に位置し、初代天皇の神武天皇と皇后を祭る。神武天皇は畝傍山東南の橿原宮で即位したという『日本書紀』の記述に基づき、 1890年(明治23)に創建。
本殿(重要文化財)は京都御所の賢所[かしこどころ]を移築したもので、手前に内拝殿、外拝殿が立つ。神域は50万平方m に及び、玉砂利を敷き詰めた外拝殿前広場も清々しい。
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女性のふくらはぎを見て雲から落ちたとの言い伝えがあるユーモラスな久米仙人ゆかりの久米寺。大和三山のひとつ、畝傍山(うねびやま)の東南麓に位置します。
梅雨の時期のアジサイのほか、春にはツツジが境内を美しく咲きほめる。
本尊薬師如来は眼病に効くとされる。京都仁和寺から移築された多宝塔(重要文化財)は、桃山様式を残している。
かつては大寺院だったということが、残された礎石や瓦からも伺い知ることができる。アジサイ園は6月に見ごろをむかえる。
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大和では珍しく達磨を祭る聖徳太子ゆかりの寺。太子がこの地で瀕死の旅人を見つけ、衣食を与えて介抱したが、翌日死亡してしまった。
亡骸を葬ったところ数日で消えてしまい、太子が与えた着物のみが残されたため、これは達磨の化身であったかと堂を建てたという。
鎌倉時代の初めには現在の境内の古墳上に寺が建てられ、達磨像を祭った。現在の本堂は2004年春に完成。
木造達磨太子坐像(重要文化財)や絹本着色涅槃図(重要文化財)など寺宝も多い。
聖徳太子の愛犬雪丸の像もある。
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物部氏の祖先神である饒速日命を祭神とする、矢田地方の総鎮守社。天磐船で降臨の際に3本の矢を放ち、2本の矢が落ちた所と伝わることから、航空の神とされ、旅行の安全祈願をする参拝者も多い。
一間社春日造り檜皮葺き本殿(重要文化財)は南北朝時代、同じく末社の八幡神社社殿(重要文化財)は室町時代に創建されたもの。楼門にはプロペラが奉納されている。
物部氏との関係から、このあたりを邪馬台国とする説もある。
豊臣秀長の菩提寺で旧寺号を東光寺という。
秀長の戒名によって春岳院と号す。正徳5(1715)年、本堂再建。
大和郡山の町中にひっそりと佇む。寺宝としては秀長画像などがあげられる。また、数々の秀長統治時代の郡山を知る資料も収蔵されている。
拝観には事前に連絡が必要なので注意。
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聖武天皇が狩りをした際、我が子の流れ矢にあたって死んだ鳥見[とみ]郷の名族真弓長弓[まゆみながゆみ]を哀れんで、行基に命じて建立させたと伝わる。
入母屋造檜皮葺きの本堂(国宝)は、和様に天竺様、唐様を加えた優美な建築。堂内には厨子(重要文化財)に納められた一木造の十一面観音立像(重要文化財)を安置する。
3つの塔頭では精進料理も味わえる。
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生駒谷十七郷の氏神さま。正式には往馬坐伊古麻都比古神社という長い名。天皇即位の時に火燧木を献上してきた火の神として知られ、神苑に春日造りの社殿が並ぶのは荘厳。
毎年体育の日の土・日曜の例祭「火祭り」は、松明を持った男たちが石段を競って駆け降りる勇壮な祭り。
【標準料金】 無料
標高437mの信貴山中腹にある聖徳太子ゆかりの寺。寅の年・寅の日・寅の刻に現れた毘沙門天を、太子が祭ったのが始まりとされる。松永久秀が築いた信貴山城が1577年(天正5)に織田信長に攻められて炎上すると、寺も焼亡、のち豊臣秀頼が復興した。本尊の毘沙門天は福徳と財宝を授けるといわれることから、庶民信仰が篤い。石灯籠が並ぶ参道には巨大なトラの像も設置されている。山腹に護摩堂や三重塔などが立ち並び、一番奥の舞台造の朱塗りの本堂からは、奈良盆地の眺望がすばらしい。寺宝に名高い信貴山縁起絵巻(国宝)を伝え、本堂脇の霊宝館で毎年10月末日から2週間公開される。ふだんはデジタル模写の絵巻3巻が展示されている。
【標準料金】 無料
聖徳太子が16歳の時(589)、飛鳥から来られて、法隆寺建立の地を平群川(竜田川)に沿って
探しておられました。この折りに白髪の老人が現れて「ここから東に斑鳩が群棲している郷がある。
優れた土地である。そこに伽藍を建てなされ。」と告げ、そこは仏法が末永く興隆する地として伽藍
建立に適したところであるという。太子が白髪の老人にどういう方かとお尋ねすると、「私は龍田山
の裾に住み、秋の紅葉を楽しんでいる間に千余年を過ごしてしまった。」といったので、太子は
「あなたはこの地の守護神なのですね。私の建立する寺をお守り下さい。」とお願いすると、
「吾、守護神たらん。」といわれた。この老人こそが、龍田明神の化身であったという。
しかし、三郷立野の龍田大社(本宮)は遠いので、斑鳩に龍田神社を祭り、法隆寺の鎮守とした
のだと伝えられています。
この境内の蘇鉄の巨樹は昭和32年(1957年)に、県の記念物の指定をうけました。
【標準料金】 600円(大人2人、小学生2人)
1638(寛永15)年に柳生宗矩が父の菩提を弔うために建立。柳生家は代々にわたり徳川家に仕え、1万石の大名に列した。本堂の裏手には柳生一族の約80余基の墓がある。
東大寺のすぐ北側にある五劫院では、重源上人が宋から将来したと伝えられる五劫思惟阿弥陀仏坐像(重文)が特別開帳される。
「劫」とは時間を表す言葉で、大きな岩に3年に一度天女が舞い降り、袖で岩を払い、その岩が磨り減るまでの時を指す。
それが5回繰り返される五劫という、気の遠くなるような長い時間考え続け髪が伸びた姿は、現代風に形容するとアフロヘアーのよう。
本尊開扉は8月1~12日のみだが、その他の期間でも事前に連絡すれば拝観できる。
【標準料金】 無料
平城遷都にともない春日野に氷池や氷室をつくり、稲作に重要な夏の天候を呪う祭紀を行ったのが始まりとされています。 献氷祭ではコイやタイを封じ込めた高さ1メートルほどの氷柱が神前に供えられます。
現社殿は江戸時代の造営といわれ、境内の枝垂桜も美しい。
【標準料金】 無料
東大寺建立の際に、鎮守神として宇佐八幡を勧請して創建されたのがはじまり。本殿は1691年に再建されたものだが、校倉造の宝庫は東大寺から移築された天平建築の貴重なもの。所蔵している品々の歴史も深く一見の価値あり。
社宝に唐鞍[からくら](国宝)、舞楽面(重要文化財)などがある。
【標準料金】 無料
聖武天皇の遺愛の品をはじめ、東大寺に伝わった宝物を納めていた宝庫。現在は宮内庁が管理する。校倉[あぜくら]造、高床式の正倉は世界遺産。
光明皇后が寄進した聖武帝の遺品のほか、大仏開眼会[かいげんえ]で使われた法具などの宝物は戦後、構内に建築されたコンクリート造の宝庫に移されている。
見学は外観のみ可能で、収蔵品は毎秋、奈良国立博物館で開かれる正倉院展に出陳される。
【標準料金】 1500円(大人2人、小学生2人)
寺伝によれば天平19年(747)に光明皇后が、聖武天皇の眼病が治るように行基に建立させ、七仏薬師如来を安置したといわれています。
かつては七堂伽藍が整った由緒ある寺院でしたが、現在は本堂〔国宝〕だけが残っています。東門・南門・鐘楼・地蔵堂はいずれも鎌倉時代の建造で重文に指定されています。
また「萩の寺」とも呼ばれ、境内全体に高畑独特の静かなムードがただよっています。本尊木造薬師如来坐像〔国宝〕とそれを囲む等身大の塑造十二神将立像〔国宝〕が有名です。
【標準料金】 無料
光仁天皇の父志貴皇子を祭り、10月8日に営まれる伝統芸能「翁舞」で知られている。資料館(要予約)では、室町初期の1413年(応永20)の銘が入った木彫の面のほか各種のお面を展示。
貴重品の面は奈良国立博物館で展示されているため資料館では写真の展示だが、10月8~10日 (10~15時)の間のみ資料館で実物を見ることができる。